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ソロモン諸島の与党政権は第2のクメール・ルージュになるか

1:中国共産党 :

2024/04/16 (Tue) 10:07:04

南モンゴル(内モンゴル自治区)出身の楊海英によると、漢人たちはモンゴル人に対し、真っ赤に焼いた鉄棒を肛門に入れる、鉄釘を頭に打ち込む、モンゴル人女性のズボンを脱がせて、縄でその陰部をノコギリのように繰り返し引く、妊娠中の女性の胎内に手を入れて、その胎児を子宮から引っ張り出すなどの凄惨な性的暴行・拷問・殺戮を加えた[2]。内モンゴルのジャーナリストや研究者たちによると、当時内モンゴルに居住していた150万人弱のモンゴル人のうち、犠牲者は30万人に達し、その後、内モンゴルではモンゴル人の人口250万人に対して、漢人の入植者は3,000万人に激増した[2]。楊海英は、事件をきっかけに「19世紀以降に満洲、モンゴル、新疆へと、彼ら漢人(支那人)が領土拡張してきた方法」により、内モンゴルは植民地開拓され、「内モンゴル自治区ではモンゴル人の人口がたったの250万人にとどまり、あとから入植してきた支那人はいつの間にか3,000万人にも膨れあがり、その地位が完全に逆転してしまいました。支那人による植民地開拓のプロセスは何処でも基本的に同じ人海戦術です」と述べている[2]。

アルタンデレヘイ(支那語: 阿拉騰徳力海)は、「中国共産党はまず、ウランフの例でわかるようにモンゴル人の指導者と知識人たちを狙った。『文字を読める人』は殆ど生き残れなかったと言われるほどの粛清が行われた。50種類以上の拷問が考案され、実行された。たとえば、真赤に焼いた棍棒で内臓が見えるまで腹部を焼き、穴をあける。牛皮の鞭に鉄線をつけて殴る。傷口に塩を塗り込み、熱湯をかける。太い鉄線を頭部に巻いて、頭部が破裂するまでペンチで締め上げる。真赤に焼いた鉄のショベルを、縛りあげた人の頭部に押しつけ焼き殺す。『実録』には悪夢にうなされそうな具体例が詰まっている。女性や子どもへの拷問、殺戮の事例も限りがない。中国共産党の所業はまさに悪魔の仕業である」と批判している[7]。

1979年になり内モンゴル自治区は再設置され、ウランフも名誉回復されたが、内モンゴル独立運動は徹底的に弾圧され、中国共産党はジェノサイドをおこなった漢人入植者を処罰しなかったことから、1981年にモンゴル人大学生による大規模な抗議活動がおこなわれたが、当局の厳しい弾圧に遭い、抗議活動を支援したモンゴル人幹部や『内モンゴル人民革命党粛清事件』を生き延びた人々は全員粛清され、モンゴル人大学生も辺鄙な地域へ追放されて公民権を剥奪された[7]。

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